杉村楚人冠記念館サロン

大正から昭和にかけて多くの文化人や財界人などが別荘や邸宅を構えた「北の鎌倉」と呼ばれる我孫子。手賀沼と言われる湖沼の手前には田んぼが植えられている場所もあり、田んぼの先に湖が見える不思議な光景を見ることが出来ます。

明治末期から東京朝日新聞社でジャーナリストとして活躍していた杉村楚人冠(すぎむら そじんかん)が永住の地として選んだのがこの我孫子であり、我孫子駅から徒歩10分ほどの場所に【杉村楚人冠記念館】があります。

白馬城

杉村楚人冠は現在記念館が建てられている土地を購入するより先に「白馬城」と命名していました。白馬城とは、この土地全体の名前になります。

現在は杉村楚人冠記念館として使用しているのは旧杉村楚人冠母屋になりこちらは有料になりますが、白馬城内の庭部分は無料で見ることが出来ます。

別荘として購入していた当初300坪だったのが、徐々に増え最大で約7,500坪を購入していたそうです。一般的な坪数が30~40坪と考えると300坪の時点で10倍の広さなわけですが、7,500坪って何で比べればいいかわからないけどとにかく広い。ちなみに現在約1,574坪だそう。それでも広いですよね~。

旧杉村楚人冠母屋

こちらで館内の見学が出来ます。大正13年に母屋が完成してからも2階を建てたり部屋を増築したり、耐震性を意識し大型家具類は作り付けにするなど増改築を繰り返しています。

サロン(応接室)

玄関から入って左側、「書生部屋」が受付になっています。玄関から正面に廊下が続いていますが、順路としては玄関から右側の「サロン(応接室)」からになります。

サロン(応接室)

左に少し見えるマントルピースが自慢の一つであったそうです。マントルピースって聞いたときは何のこと?と思っていましたが、見てみると暖炉。マントルピースとは暖炉の周りにある装飾のことだそうですが、暖炉自体もそのように言ったりするそうです。サロンは楚人冠にとってくつろぎの場であり、マントルピースを家族と女中で囲って過ごすこともあったそうです。女中まで家族と同じように接してくれていたのかなあと想像できて温かい気持ちになりました。

杉村楚人冠応接室

奥はベランダでしたが、現在はサンルームになっています。左に見える縁側へ続く道が天井低めだなと感じたのですが、このサロンの天井が高めの造りになっているそうです。昔和室と洋室の高さがそのまま反映して造られた感じですねー。

縁側

杉村楚人冠縁側

ここのガラスは大正当時のまま。手吹きで作られていたものだと思います。味があって好き。当時高価なガラスをこれだけの枚数使うのもすごいですが、それがいまだに残っていることもすごい。それだけ大切に扱われてきたんですね。

杉村楚人冠縁側

振り返ってサロン方面見るとまた素敵~。

和室

縁側の横は「客間」「主人室」「茶の間」と和室が3つ続きます。それらは現在展示室となっており撮影不可。
スタッフの方に聞いてみたところ、「客間」の展示がない左側部分だけなら、ということで撮らせていただきました。

杉村楚人冠客間

押し入れの中にタンスがあるのですが、こちらは作りつけられているそうです。反対側の押し入れも見せていただいたのですが、また違った形のタンスが作りつけられていました。元々東京に住んでいた楚人冠ですが、震災により次男と三男が亡くなったことにより本格的にこちらへ移住してきたそうですが、その経験から耐震性には気を使っていたようです。

畳みをよく見ると正方形の部分があります。これは茶室炉で、楚人冠の妻蘭さんは江戸千家の免状を持っておりこの部屋で茶道を教えていたそうです。「茶の間」は茶道関係ないの?と思ってしまうかもしれませんが、「茶の間」は台所の近くにある食事をしたりする畳の部屋なので、今で言うリビングですね。以前はこの部屋の前は濡れ縁になっていて、そこから家族で集合写真を撮ることも多く、当時はここから手賀沼を眺めることもできたそうです。

廊下

以前台所だった部分は多目的室となっており、部屋として見るというよりは通り道な感じです。
ただ、この部屋の上部は見渡す限り吊戸棚になっていてそれが面白い。

吊戸棚

この多目的室とは反対の廊下側から上部を見てみると、こっちにも吊戸棚が!

吊戸棚

この廊下側にはなんと電話室があります。この時代、個人宅に電話室ってまたすごい。当時この電話室の横から女中部屋へ繋がっていたようですが、現在は車椅子用の大き目なお手洗いになっています。ちなみに、玄関入ってすぐ正面辺りに通常のお手洗いがあります。

電話室

電話室の横にある窓からは中庭?が見えます。

中庭

大正14年増改築した2階建ての新館が見えます。下は書斎、2階はベッドルームと和室だそう。残念ながら、2階は見学することができません。

書斎

楚人冠書斎

現在も、机の上には友人の住所録を収納したカードボックスなどが置いてあります。楚人冠は小説家でもありますが、こちらで執筆していたようです。

杉村楚人冠記念館書斎

2階への階段

杉村楚人冠記念館階段

こちらは白を基調としたシンプルな造りでした。この階段の右側が書斎であり、左手前に書生部屋(現受付)がありました。書生部屋は4畳半で、晩年まで何人もの書生さんを住まわせていたそうです。この時代ならではのお部屋があったことに胸が高まりました。

澤の家

澤の家

別荘として土地を購入した際、初めて建てたのが「枯淡庵」であり、その後新たに建てられたのが「澤の家」。
「枯淡庵」時代楚人冠は土日に泊まりで過ごし心の赴くまま過ごしていたそうです。

離れの茶室

離れの茶室

「清接庵」と名付けられた離れの茶室は6畳と4畳の和室にお手洗いがあります。楚人冠は度々この茶室を寝室として使用していたようです。また、約40人の大茶会をこちらで催したとか。

離れの風呂

離れの風呂

茶室の下に階段があり、下りた先に離れのお風呂があったそうです。白馬城の地図を見る限りだと位置的に、おそらくこれがお風呂の名残り。

ここは「枯淡庵」の次に建てられたものだそうです。楚人冠はお風呂好きだったそうで、1日に2、3度入ることもあったとか。住居とは別で、しかも湧き水を風呂水として利用できるように造られた珍しいお風呂でした。

記念館の正門から左奥にある蔵。以前は和田英作から贈られた油彩画や茶器関係などが残されていたそうです。現在はこの辺りが自転車をとめておくスペースになっています。自転車で来た場合はこちらです。

楚人冠公園

楚人冠公園

以前白馬城の敷地であった、観音山(現楚人冠公園)の山頂には句碑が立っています。久しぶりに登ろうと思うとちょっと息切れするレベルの高さにあります。現在は杉村楚人冠記念館を出て3分くらいの場所です。

まとめ

杉村楚人冠記念館にはこれまで企画展で作成された楚人冠関連の資料も豊富においてあります。大正から昭和の様子を企画の角度から知ることが出来るためどれも面白い。見本があるので、1つずつ拝見し、いくつか購入してきました。

楚人冠の交流範囲も広く、石川啄木との資料集だったり夏目漱石との資料集だったり柳田國男との資料集だったりいろいろ。建物としてもそうですが、大正から昭和の時代に興味がある方にはぜひ資料を読んで欲しいと思いました。

また、車でお越しの際は記念館に駐車場はないため有料の駐車場を使用することになります。その際、我孫子市民図書館アビスタ本館がオススメ。杉村楚人冠記念館から徒歩5分強の場所です。
この図書館で、「楚人冠全集」、「湖畔吟」、「白馬城」なども読むことが出来ます。

我孫子を訪れたら、ぜひ文学を満喫して帰りたいですね!

杉村楚人冠記念館MAP

杉村楚人冠記念館

  • 入館料 :一般¥300/大・高¥200
  • 開館時間:9時~16時30分(入館は16時まで)
  • 休館日 :月曜/年末年始

※3館共通券があります。詳しくは公式サイトにて

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